光の器

φ40mmx199 white granite, etc. light receptor-ground- 2000 Sagamihara City

昨年の「公園と彫刻」展を見に行った時に結城さんに誘われて、今回参加することにした。

会場である相模大野中央公園の絵に描いたような不思議な日常性と、商業地域の中で広すぎず狭すぎず、ポッカリと口を開けたような在り方に、ひかれるものがあった。作品の構想を練るために、何度か足を運んだ。
青空のもと、原色の遊具の周りでにぎやかに遊びまわる母と子、芝生に寝転ぶ人、悠々と横切るネコ、真っ直ぐに伸びる松の木。
夜は水銀灯のほのかな灯りに照らされて、恋人達が芝生の上に点在していた。高校生たちは猥雑な街中で見せるような殺気はなかった。
お年寄りがいないなと思ったが、実際にはいても老いを感じさせないだけなのかもしれない。
この空間の意志は、個の逸脱した力を必要とはしないが、もう少し別の、あるいは本来の、なにものかを開放してくれるのかもしれない。
それが、疲弊した都市生活者に休息を与え、浄化し、蘇生させるのだと思う。
灌木によって囲まれた公園の、特に、手入れの行き届いた芝生と、この空間に特別な時間軸を与えている松の木と、パーゴラなどの施設物の、位置関係が中心をあのようにしているからだろうか・・・。

私は、松の木の下をえらんだ。

手のひらの中に収まる程の石の丸いものを199個地面に据えた。伸び上がる松の木の上、天から注ぐ光を受け、地より顔を出した光。
作品は踏まれる程に自由だった。それがなんであれ、楽しんでもらえて本当に嬉しい。

お忙しいなか多くの方々に見に来て頂いた。
川島さんを始め、参加作家の皆さんには大変お世話になった。
相模原市役所の方々にも色々と協力して頂いた。
多摩石彫の中田さんには作品の制作場所を貸して頂いた。
色々とご迷惑をおかけしている私の奥さんと子供達。
心より感謝したい。

川崎にて 2000.12.03